学業成就で有名な、大きな神社。 受験のときは、そういうところに連れて行ってもらったりもしていました。
でも、願いが叶ったのは、そこではなかったんですよね。 僕が生まれた地域にある、神社でした。
僕は、神社には毎日お参りに行きたいと思っています。 ただ最近はちょっと、毎日という風には行けていません。
サボりがちです。
なのでここでまた意識して、前みたいに毎日必ずお参りに行くようにしてみたいなと思っています。
おみくじを引く前に、ご挨拶をする
そう思ったのには、きっかけがあります。 ある方のSpotifyの音声日記を、だいぶ前まで遡って聞いていました。
その方は毎月1日に、朔日参りをずっと続けていますよ、という話。 そのときにおみくじも引く、と。
そこで印象的だったのが、おみくじの引き方でした。 引く前に、その神社の神様にちゃんとご挨拶をしてから引くといいですよ、みたいな。
「今から引くので、アドバイスください」という感じで、神様にお願いをしておく。
「あ、なるほどなるほど」 そう思いました。
生まれた場所にある神社
僕が一番大事だと思っている神社は、僕が生まれた地域にあります。 いま住んでいるところとは別の場所で、ちょうど隣町といったぐらいの距離感です。
3キロぐらい離れているので、家からはちょっと遠いんですけれども。 ランニングでその神社まで行って帰ってくると、コースとしてちょうど手頃です。
小学校2年生のときまで、そこで住んでいました。 その頃からずっと、存在感としてはあったところかなという風に感じています。
しばらくは、お参りするようなことがなくなっていました。 また行くようになったのは、大学受験のときです。
それまでは、とにかく験担ぎでした。 学業成就で有名な、大きな神社に連れて行ってもらったりもしていました。
根本的には、僕がどれだけしっかり勉強できているかにかかっているんですけれども。 その時々に、足りないところを神様の力でなんとかしよう、と思ってしまうんですよね。
しかも、その力の大きさも、大きな有名な神社であればあるほど強く出てくれるのではないか。 そんな風に思ったりしてしまいがちです。
でも、大きな有名なところに行けば良い結果になったかというと、そうではありませんでした。
合格祈願に、ふと行ってみようと思いまして。 やっぱり僕が生まれた場所にあった神社が気になって、そこにお参りに行きました。
そうしたら、その合格祈願の願いが見事叶ったと。まあ、偶然なんですけど、 一番身近な神社にお参りに行ったときに、祈願成就に繋がった。
やっぱり、ここの神様は僕のことを見てくれていた。 そういう実感に繋がりました。
それがちょっと、きっかけみたいな感じもあります。 そこからまた意識するようになって、ふと気がついたら、そちらの神社にお参りするようになっていました。
そこに行くと、「ここの神社は、一番僕自身のことを気にかけてくれているような気がする」。 そんな神社だなと感じることが、やっぱり多くありました。
まあ気のせいかもしれないんですけれども、そんな感覚がすごくありました。
ちなみに神社は、どんなところでも、神社だったらどこでもお参りするという形にしています。 見かけたら立ち寄って、お参りする。手を合わせる。
そういう風なことをするようにしています。
月に2回、おみくじを引く
僕もおみくじは引いてます。 しかも毎月2回引く、という風に決めてやってますね。
だいたい月始めと、月の真ん中に1回ずつです。 朔日参りという形で行ければベストなんですけど、1日っていうのがいけなかったり、ということもちょいちょいあります。
そんな中でも、おみくじは月に2回必ず引く。 そういうことにしてるんですね。
引いてみると、色々考えるきっかけになっていいんじゃないかなと思っています。
つい気になってしまうのは、相場の部分とか、商売の部分ですね。 それ以外だと、家族のこと。
子供らが何かに挑戦するというときには、どんな感じのことが書いてあるかを気にしてみたりします。 僕自身が普段ないことをやるとき、ちょっと遠くに出張に出かけるときなんかも、それに関する項目を気にしてみたり。
まあそういうのは、パッと見の気分的なものかなという感じです。 ちょっと気持ちを引き締めてみたり、「よし、この調子でガンガン行こう」と、さらに調子を上げるネタにしてみたり。
でも、いつもちゃんと読むのは、神様からのお告げというか、アドバイスみたいな文章のところですね。 そこはやっぱり、よく読むようにしています。
大吉が出たときは、「今は何をやってもうまくいく時だから、どんどん積極的にやっていきましょう」とか書いてあります。 でもそんな中でも、「日々の信心は怠りなく」みたいなのが、ちょっと添えてあったりするんですよね。
「なかなかうまくいかないことが多いけど、だんだん少しずつ明るい方向へと向かっていますよ」 そういうのがあったら、「そうか」という感じで、コツコツやっていこうという気分になれます。
日々の暮らしの中の、ちょっとしたことではあるんだけども。 いつも気にしながら、良くなるようにと気にしながら過ごしていく。
そういうきっかけにはなっているんじゃないかなという風に思っています。
月2回は割と頻繁なんで、前回どんなんだったかなというのは、まだ覚えていたりするんですよね。 結構あるのが、2回連続で同じのを引いてしまうみたいな時です。
「ああ、今の僕の状況は、この調子でやっぱり変わってないんだ」 「そういうことなんか」という風に、妙に納得してしまうこともあったりします。
それはそれで、なかなか面白いです。
ただ、引き方は割と淡々としています。 引いて、中を見て、「お」みたいな感じ。
もういつものことみたいな感じで、割と軽く流しているところがあるんです。 なので、もうちょっとしっかり注目したいなと思いました。
引くにあたってきちんと神様に挨拶してから引く、みたいなところも、ちょっと丁寧にやっていきたいなと思った次第です。
お願いより、ひたすら「ありがとうございます」
そんなに頻繁に神社にお参りに行って、じゃあ何かお願い事みたいなことをしているのか。
昔は、そもそもお参りに行くこと自体が非常に少なかったんです。 初詣のときに行くのがあればまだいい方で、初詣すら行ってないみたいなこともあったような気がしています。
なので行けば、やっぱり何かをお願いするみたいな意識のほうが強かったですね。 それが頻繁に行くようになってきたら、「いつもありがとうございます」になってきました。
毎度毎度お願い事ばっかり、というわけでもないので。 日々こうやってお参りするようになったのも、ありがとうございます。
「ちょいちょい苦労しながらも、なんだかんだでうまくいってますよ」 そういうのを報告しに行くと、結局「どうもありがとうございます」みたいな感じになるんですよね。
時々はお願い的なものを、しっかり丁寧にお伝えすることもあります。 でも、割とひたすら感謝です。
特に何も考えずに言うても、感謝するべきことだらけなんで。
「ありがとう」という言葉は、発していればきっといいものに繋がる。 そんな言葉でもあると思うんで、口癖のように言っていけたらいいんじゃないかなと思ったりもしています。
上の空でも、口癖のように
ちょっと仏教の話にはなるんですけれども、うちの宗派は浄土真宗なんですね。 浄土真宗だと、ひたすら「南無阿弥陀仏」と念仏を唱え続ければいい。
そうすれば救われます、みたいな。そういう風なのがあります。 その南無阿弥陀仏というのも、いわゆる「ありがとうございます」みたいな、そういう意味合いの言葉なんですよね。
なので、色々整理して物事を伝える、感謝する、という風なことをしなくてもいいんです。 とにかく「ありがとう」とか「南無阿弥陀仏」とか、そういう意味の言葉をひたすら発し続けるだけでいいんですよ、みたいな。
そういうのがあったりするんですけど、まあそれ、やってたんですよね。 だから、全然悪くはないと思います。
仏教のことは、細かい勉強はまだできていません。 しっかりした理解には至っていないんですけれども。
だんだん年を取ってから、そういったことも意識するようになってくると、「南無阿弥陀仏って、いつもブツブツ何か知らんけど言ってるな」というのにも、意味があるというか。 色々知っていくと深いな、と。
その辺の詳しいところも、今後いろいろ知っていきたいなと思ってきました。
これが効果的なのかどうかとかっていうのは、まあ置いといて。 そうやってできているということは、やっぱり僕としてはいいことなんじゃないかなという風には思えています。
まあ、これからもこの調子でやっていきたいと思います。
口癖のようにね。 上の空ではあっても、口癖のように「ありがとう」「ありがとう」って、声に発し続けていたらいいんだよ、みたいな。
そういうところです。
相変わらずですが、これからもずっと続けていきたいなと思っていることですね。 神社への参拝、ちょっと最近サボりがちなんで。
ちょっと足を向けていきたいなと思います。




まことさんはじめまして!おみくじ、わたしも結果より書いてある言葉をじっくり読んじゃいます☺️
引く前に今のわたしに必要なことを教えてくださいって挨拶するの、次に神社へ行ったときやってみたくなりました。